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FACTORY管理人/行武亜沙美のくわしいプロフィール

いらっしゃいませ、FACTORY管理人の行武亜沙美(ゆくたけあさみ)です。
ここは私のくわしいプロフィールをお話しするページです。
長めなので、お時間あるときにぼちぼちどうぞ。

ざっくり知りたい方向けの30秒バージョンはこちら。

FACTORY管理人/行武亜沙美とは?

1985年6月22日生まれ、蟹座のB型。2019年現在で34歳になりました。

転勤族だった関係で、引っ越しや新しい環境はお手の物。
周りを見ながら自分の役割を把握する力はこのころ自然と身につきました。

モンテッソーリ教育とやらを取り入れた幼稚園に入っていたそうですが、発想力を育むおもちゃやワークには目もくれず、
ただただお絵描きが大好きな子どもだったそうです。(お母さんごめんなさい)

全力で好きになれるものを見つけた幼少期

ある日友だちのバレエの発表会を見に行った私は、その魅力にとりつかれます。

ピンク色のバレエシューズやふわふわのチュチュ。照明に照らされた舞台で踊る友だちがうらやましくてたまらず、「私も習いたい!!」とせがむもあえなく撃沈。

諦めきれなかった私は近所のバレエ教室を見つけてきてしまいます。
粘りに粘ってめでたく小学校に上がってから習わせてもらえることになりました。

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私は他の生徒さんと比べるとバレエをはじめた年齢も遅かったですし、体格も全く恵まれていませんが、当時自分はバレリーナになれると信じて疑いませんでした。(今では笑い話です)

学校よりも、友達づきあいよりも、なによりバレエが大好きだったから、部活動がゆるい国立中学校を受験。

週4~5回のレッスンと、毎日家に帰ってからのトレーニング、
できたことをきちんと認めてくれる先生や応援してくれた家族のおかげで
一流のダンサーと同じ舞台に立たせていただいたり、生演奏の舞台を経験することができました。

でも中学を卒業するころ、自分がバレリーナにはなれないことを薄々感じ始めます。
自分が主役を踊っても、理想の舞台ができないことに気がついたのでした。

踊るのは大好きだけど好きなままでいた方がいいのかもしれない。
この時の気持ちはなんだか失恋したときのような、ほろ苦い思い出です。

普通の学生生活を楽しんだ高校時代

父親の転勤で、高校入学のタイミングで千葉県へ。
初めて降りた津田沼駅の人の多さとビルの高さ、電車の長さに驚きました。
(普段乗っていた電車は長くて3両)

高校では踊ることから離れ、友人と遅くまで話したり、お化粧を覚えたり、部活を楽しむ毎日。
それまで無意識に犠牲にしてきたものを取り返すように、一般的な高校生生活を楽しみました。

このころ出会った人は自分の軸がある人が多く、今でも一緒に仕事をする友人がいます。
IT起業を立ち上げたり、アパレルのバイヤー、青年海外協力隊出身の農家など趣味も大切にしているものも全然違いますが、一本芯の通った気持ちがいい人たちです。

価値観の違いにおもしろさを感じるのは、このころの付き合いがあったからかもしれません。

私はアーティストになれない。

楽しい高校生活が終盤に差し掛かったとき、私の中でバレエを辞めた心残りがどんどん大きくなりました。

唯一自分で選んで熱中したものが忘れられなかったのだと思います。
夏のオープンキャンパスを経て、私は日本大学藝術学部演劇学科洋舞コースに進学しました。

この4年間は、とにかく自分の好きなことだけやろう。
嫌いなものから距離を置こう。

そう決めて、大学とバイト先の日比谷の映画館を往復する毎日。
早々に単位を取りきって他学科の授業を受けたり(ジャズ概論と漫画論、シュルレアリスム論はとても良かった)
配給会社のテスト上映に参加したり、それはそれは感性が刺激される4年間を過ごしました。

そうやってたくさんの上質な表現に触れ、私の中でひとつの結論が出たんです。

「私はアーティストになれない。」

実はバレエを辞めたとき、どこか引越しのせいにしていたところがあったのですが、
4年間好きなことをやりつくして、もうこの答えからは逃げられないんだな、と気づいてしまいました。

周りがダンサーとしての進路を選ぶ中、細々と就職活動を開始。
これだけ好きなことばかりやって、人とズレた進路を選んできた私が社会でやっていけるのか、
それが確認したかったんじゃないかなと思います。

社会で生きていけるか試した新卒時代

就職活動は難航しました。
今思えば本当に常識はずれな応募者だったと思います。

アフロみたいなパーマで銀行の面接に行ったり、チョコミントみたいなストライプのシャツでグループワークに現れたり、このときのことは恥ずかしくてあまり思い出したくありません。

4年生の夏頃にはフリーターになることを覚悟していましたが、最後にここだけ、と履歴書を出したのが株式会社バルス(現:株式会社Francfranc)です。

面接の服装は「店舗に立つことをイメージしてください」。
最終面接の話題は、最近観た映画について。

なんとなくフィーリングが合うな、と思ったこの企業に入社が決まり
店舗スタッフとして2年間、店長として2年半店頭に立ったあと結婚を機に退職します。

「魚屋のオヤジみたいに考える」
「遊ばない社員はいらない」
「小売業は心理学」

高島社長は今でも尊敬する経営者で、ここで学んだことは私の働き方に色濃く残っています。
独立した時にクライアントとのコミュニケーションに苦労しなかったのは、
間違いなくここで叩き込まれた接客スキルのおかげです。

主婦→パートタイマー

Francfrancで店長をしていた時に足繁く通った飲食店のオーナーと結婚し、その後は専業主婦になりました。
会社員としての生き方しか知らなかった私は自営業に憧れ、そのシビアさに衝撃を受けます。

快適に働く仕組みは会社が用意してくれたもので、自分の力ではない。
「しっかり働いている」と思っていたのは大きな間違いで、私はずっと会社に守られていたのでした。

その保険を手放しても自分のビジョンに向かう主人の姿は眩しく、私もやりたいことで生きていきたいと考えるようになりました。

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やりたいことで生きる理想とうまくいかない現実の狭間で、このときの私はすごくねじれていたと思います。

結婚するまで実家で暮らしていた私は想像以上に主婦業ができませんでした。(今も苦手です)
洗濯物は洗わないと増えるし、冷蔵庫は買い物をしないと空っぽになる。
そんな当たり前のことができなくて、でもできない自分をずっと認められませんでした。

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だんだん考え方や行動が卑屈になり、主人とぶつかることが多くなったある日、お昼過ぎまでのパートに出ることを決めます。
職人さんやお客さんとの電話対応や間取り作成、公共工事の見積もりなどの不動産の事務職。
難しい業務ではありませんでしたが、自分の名前で社会と関わりが持てること、知らないことを学ぶのはとても新鮮でした。

パートタイマー→フリーランス

働くことの楽しさを実感して、パートと並行しながらWEB業界の在宅ワークもはじめます。
20人ほどのライターさんを管理しながら、記事の作り方やTwitterが仕事につながることを知りました。

そんな中インターネット上の記事を読んでいるうちに気づいたのは、すごく文字が多く感じるということ。

接客業のころは商品に目を留めてもらうために値段表記やPOPで無言の接客をするように意識していたのに、
WEBの記事にはその考え方がまだ浸透していないように思えました。

もっとたくさんの人がスムーズに読める工夫ができるのでは。
そう思ったのが図解をつくろうと思ったきっかけです。

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パートとライター管理を続けつつ、櫻田潤さんが運営するオンラインサロン「ビジュアルシンキングラボ」に入会し、パートから帰っては図解を試行錯誤する日々がしばらく続きました。

その後ブロガー向けに「外注せずに自分でつくる」をテーマに作り方をまとめ、noteで発売。
▶︎“発信力をアップさせる”ゼロからのやさしい図解

結果このnoteはインフルエンサーの目に留まり、想像もできなかった多くの方々に購入して頂きました。

アーティストにはなれないけれど、得意なことで誰かの役に立つことはできるかもしれない。
「図解屋」として独立したのはそう確信したタイミングでした。

▶︎ノウハウはスタートライン、という話

海の近くに住むパラレルワーカーへ

3ヶ月ほど講師業や制作でフリーランスとして活動し、次に湧いてきたのはチームで働くことへの欲望でした。
生きていけるくらいにはお仕事をいただけるようになり、もっと大きく、複数人で動きたくなったんです。

フリーランスとしての働き方が分かった上で会社員をやってみるのもおもしろいかもしれない。
この時私の働き方を変えたのは、またTwitterでした。

はじめての講師で訪れたコワーキングスペースを運営する株式会社Ponnufの採用情報をみかけ、

・いつか移住したいと思っていたいすみ市での現地採用
・SNSで発信している人歓迎
・副業歓迎(社員は元フリーランスばかり)
・会社をつかって自己実現してほしい

様々な点で縁を感じ、思い切って応募しました。
面接では代表の池ちゃん(@ikechan0201)が私の話す夢みたいな話を「いいですね!」と、笑わずに受け止めてくれたのをよく覚えています、

それからとんとんと話が進み、私は30代で千葉県いすみ市に移住してパラレルワーカーになりました。

最近はこれまで経験してきたことがぐっとひとつにまとまってきた実感があり、
今、私は過去最高に幸せだと思える生き方をしています。

FACTORYではじめの一歩を後押ししたい

いつも「何者かになりたい」と思っていた私は、結局何者になることもなく、ただの私でした。

残念ながら?人には向き不向きってあるんですよね。
今だに自分の世界観を強く持っている人や、カリスマ的な存在感を放つ人に「敵わないな〜」と感じることがよくあります。

それでも自分が自分を認めることで、充分幸せになれることが分かりました。

人間知らないことが怖いんです。
だから新しいことを始めるときはちょっと二の足を踏んでしまうもの。

記事を読んでくれる方が、「この人ができるなら、私もできそう」と思ってくれるような、
はじめの一歩を後押しできる場にこのFACTORYが育っていったらいいなと思っています。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

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